笑っちゃいけないけど笑っちゃう。弔いの失敗談~お葬式編~
終活や葬儀について
皆さんは普段、落語を聴くという機会をお持ちでしょうか? 近年起きた「落語ブーム」などで落語に触れる機会があった方も多いかもしれませんね。今回は、そんな落語の意外なルーツについてご紹介します。
落語が誕生したそもそもの始まりは、むかしむかし、その土地々々のお坊さんが、村の人たちをお寺に集めて仏教の話を聞かせた「お説教」(法話)。その「お説教」の極意が、「初めしんみり、中おかしく、しまい尊く言い習わし」というものでした。静かに語りだし、途中で村人たちが退屈しないよう面白い話を入れ、最後には尊い「仏の教え」で終わる。この「中おかしく」の部分を発展させていったものが現在の「落語」なのだそうです。
今でも法事などでお坊さんの法話を聴いていると、そのテンポ感や抑揚の付け方に、どことなく落語との共通点を感じることはありませんか?
「落語の祖」とも言われている安楽庵策伝(1554年~1642年)は豊臣秀吉お抱えの噺家で、もともとは浄土真宗の説教師でした。策伝が書き遺した書「醒睡笑」に収録されている話には、最後に「落ち」がついており、現在の落語の母体となったものも多くみられます。
その名残りなのか、落語とお説教の間にはいろいろな共通点が見て取れます。
例えば、お坊さんがお説教をする時に座る場所は「高座(こうざ)」と呼ばれ、これは落語家さんが落語を噺す時に座る場所の名前と同じです。さらに、「前座(ぜんざ)」。昔、お説教をしてくれるお坊さんを呼び込んで紹介する司会役を「お前座(おまえざ)さん」と呼んだのだそう。それが、「お前座(おまえざ)」→「前座(まえざ)」→「前座(ぜんざ)」となって、落語や漫才など舞台でもよく使われる「前座(ぜんざ)さん」に。
また、落語家さんの世界では手ぬぐいのことを「マンダラ」と呼びます。これはご存じのとおり仏教用語ですよね。なぜそうなったかについては諸説があるようです。(こうざ)」と呼ばれ、これは落語家さんが落語を噺す時に座る場所の名前と同じです。さらに、「前座(ぜんざ)」。昔、お説教をしてくれるお坊さんを呼び込んで紹介する司会役を「お前座(おまえざ)さん」と呼んだのだそう。それが、「お前座(おまえざ)」→「前座(まえざ)」→「前座(ぜんざ)」となって、落語や漫才など舞台でもよく使われる「前座(ぜんざ)さん」に。また、落語家さんの世界では手ぬぐいのことを「マンダラ」と呼びます。これはご存じのとおり仏教用語ですよね。なぜそうなったかについては諸説があるようです。
やはり起源が仏教のためなのか、江戸、上方と問わず、落語にはお墓やお坊さんがしばしば登場、落語の中には欠かせないエッセンスの一つとなっています。この辺りを踏まえた上で、あらためて落語を聴いてみるのもオススメです。これまで気付かなかった背景やポイントが見えてきて、さらに面白くなるかもしれませんよ。
そこで、まずご紹介したいのが、上方落語の天才と謳われた桂枝雀さんが得意としていた「天神山」(葛の葉)。お墓を見ながら「墓見酒(はかみざけ)」を楽しんでいた変わり者が幽霊を嫁にもらう。それをうらやんだ友人が天神様にお参りし、お願いをしている最中に偶然手に入れたキツネを嫁にもらう、という落語です。ひと笑い(大笑い?)した後の話の締めには「このキツネと男の間に生まれた子供が高名な陰陽師の安倍晴明」といった話が入ってきます。こういった部分にも仏教の説話の面影を感じますよね。
また、上方落語には「ずく念寺」という“架空のお寺”が頻繁に登場します。「八五郎坊主」、「餅屋問答」、「百人坊主」などなど、他にもたくさんの演目に登場。大阪市天王寺区の下寺町にあるという設定で、話の舞台となったり、頼りになる住職が登場したり、上方落語になくてはならない存在と言っても過言ではないでしょう。
他にも、桂歌丸さんが得意としている江戸前落語の名作「墓違い」(別名:お見立て)や、立川談志さんなども演じていた「黄金餅(こがねもち)」、人間国宝でもあった桂米朝さんの「小言念仏」など、お墓やお寺、お経が登場する落語はたくさんあります。
これらを聴いておくと、お墓参りで霊園へ足を運んだ際、またお坊さんの法話を聞いている時にも、今まで気に留めなかった新たな発見があるかもしれません。ただ、マジメな場面で落語を思い出して笑ってしまわないように、それだけは注意してくださいね。
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